「ノイズ」の定義は人によって違う。100人に聞いたら全員がノイズだと答える情報から、100人に聞いたら全員がノイズじゃないと答える情報まで、グラデーションがあるわけだ。
レガシィメディアは「編集」の工程で、大多数がノイズだと答える情報は排除している。でも、編集は偏るから、半数がノイズと答える情報が載る場合もある。それはその半数の人にとってノイズ情報。
で、インターネット上には編集された情報も編集されていない情報も載ってるから、全員がノイズだと答える情報も、半数がノイズだと答える情報もあるわけだ。
じゃあインターネット全体と、レガシィメディアを比較したらどうなるか? といったら、定義の違いが多少あったとしても、インターネット全体のほうがノイズは多くなるのが必然だと思うのだけどなあ。
レガシィメディアは「編集」の工程で、大多数がノイズだと答える情報は排除している。でも、編集は偏るから、半数がノイズと答える情報が載る場合もある。それはその半数の人にとってノイズ情報。
で、インターネット上には編集された情報も編集されていない情報も載ってるから、全員がノイズだと答える情報も、半数がノイズだと答える情報もあるわけだ。
じゃあインターネット全体と、レガシィメディアを比較したらどうなるか? といったら、定義の違いが多少あったとしても、インターネット全体のほうがノイズは多くなるのが必然だと思うのだけどなあ。
情報は発信側が作るのではない。受信側が作るのだ
返信削除それは受け手の取捨選択の話だから、また別次元の話だなあw
返信削除取り敢えず本文に関して
返信削除> インターネット全体のほうがノイズは多くなるのが必然だと思うのだけどなあ。
ここはどう考えてもそうなる気がする。
Shunsuke Shiina だよね。それが大前提で、その上で「それでもレガシィメディアによって偏向された情報よりマシ」とか「自分で取捨選択するほうがマシ」って話に続いていくならわかるの。
返信削除つかレガシイとされてるものとネットはそもそも受信形態が違うんでない?
返信削除本を開く・番組を見る はピンポイントに
ものを見る行為だけども
ネットの場合は
何かの方向性の流れを観測してる~
感じで
「決定的瞬間を写真で見る」と
「その経緯も含めた動画を見る」
くらいに違うと思うんだけど
shiro emiya ニュアンスはわかる。逆さに撮った動画とか魚眼レンズで撮った動画とかCGでホンモノそっくりに作ったニセ動画もある、くらいな感じ。
返信削除いやノイズがあるからでしょ。
返信削除例えば俺があるニュースさいとでみたノイズが、実は別の事件の背景になってて、観点がその事件になった瞬間それはノイズじゃなくなる。
ノイズを好む理由はそこにあるワケで、今のメディアがこのノイズを減らす行為こそが「偏向報道」、「報道しない自由」に見える/なってるワケでしょ。
メディアがノイズだと思って除去したモノが実はノイズじゃなくてそれの有無によって大きく意味が変わる。だったらそのノイズまで含めて最初からよこせって事じゃないの。
Shunsuke Shiina わかるよだからボクは、ノイズの多寡の「是非」は問題にしていない。良い悪いの話は、別。
返信削除現業をどう認識・分析するか
返信削除であって
現状を変えるか否か
或いは評価するか
ではないという事で。
うちも最初勘違いしてたw
そうそう。
返信削除複数チェックによる編集の有無とともに、メディアの物理的制約により、情報をダイエットすることが強制されるのも大きいなと感じています。
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