思想地図β vol.2 を読んでいる。
東浩紀氏の巻頭言を最後まで読んだが、Webで試し読みした時に感じた違和感は、正直言って解消されなかった。が、東浩紀氏が何を言いたいかは少し理解できた。
「公共施設の放射線量測定を求める母親たちに対し、いかなる共感もなく、嘲笑だけを向ける自称『理系』の研究者たち」という言い方には、やはり反感を覚える。研究者全員を揶揄することを意図した文章ではないのだろうけど、ボランティアでガイガーカウンター・ミーティングを開催したりしている、菊池誠氏や野尻美保子氏などに失礼だ。
「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」という冒頭の一文は、読み進めたら東氏自身で後ほど訂正していた。「正確にはぼくは、震災前からぼくたちはばらばらだった、震災はそれを明らかにしただけだと記すべきだったのかもしれない」と。この文の方が、ボクの実感に近い。
もっと言えば、そもそも 日本人はかつて連帯していたという認識が幻想 なんじゃないだろうか? 団塊の世代の学生運動だって、実際には全員が熱狂的に参加していたわけではなく、冷淡な目を向けていた層も少なからずいたという話を聞く。
ボクたちは生まれながらにして平等ではない、なんてことは、震災があっても無くても、多くの人が実感していたことなのではないだろうか。震災は、今後格差を更に広げていく要因の一つではあるけど、「震災があったから平等ではないことを知った」なんていう言説は、よほど今まで現実を見ていなかった、現実を知らなかったんだな、と言わざるを得ない。
しかし、巻頭言の終盤にこんなことが書いてあった。「現場性もなければ専門性もないぼくのようないいかげんな立場の人間が」と。この災厄を前にして、ひとりの人間として、自分は何ができるだろうか?何に役立つだろうか?と思い悩んだに違いない。考えに考え、震災特集号を出し、その本体価格の3分の1を被災地に義援金として送る、という 行動 については賞賛したい。東氏自身が言うように、何もしないより、する方が、少しは可能性が広がるから。
東浩紀氏の巻頭言を最後まで読んだが、Webで試し読みした時に感じた違和感は、正直言って解消されなかった。が、東浩紀氏が何を言いたいかは少し理解できた。
「公共施設の放射線量測定を求める母親たちに対し、いかなる共感もなく、嘲笑だけを向ける自称『理系』の研究者たち」という言い方には、やはり反感を覚える。研究者全員を揶揄することを意図した文章ではないのだろうけど、ボランティアでガイガーカウンター・ミーティングを開催したりしている、菊池誠氏や野尻美保子氏などに失礼だ。
「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」という冒頭の一文は、読み進めたら東氏自身で後ほど訂正していた。「正確にはぼくは、震災前からぼくたちはばらばらだった、震災はそれを明らかにしただけだと記すべきだったのかもしれない」と。この文の方が、ボクの実感に近い。
もっと言えば、そもそも 日本人はかつて連帯していたという認識が幻想 なんじゃないだろうか? 団塊の世代の学生運動だって、実際には全員が熱狂的に参加していたわけではなく、冷淡な目を向けていた層も少なからずいたという話を聞く。
ボクたちは生まれながらにして平等ではない、なんてことは、震災があっても無くても、多くの人が実感していたことなのではないだろうか。震災は、今後格差を更に広げていく要因の一つではあるけど、「震災があったから平等ではないことを知った」なんていう言説は、よほど今まで現実を見ていなかった、現実を知らなかったんだな、と言わざるを得ない。
しかし、巻頭言の終盤にこんなことが書いてあった。「現場性もなければ専門性もないぼくのようないいかげんな立場の人間が」と。この災厄を前にして、ひとりの人間として、自分は何ができるだろうか?何に役立つだろうか?と思い悩んだに違いない。考えに考え、震災特集号を出し、その本体価格の3分の1を被災地に義援金として送る、という 行動 については賞賛したい。東氏自身が言うように、何もしないより、する方が、少しは可能性が広がるから。
同意します。
返信削除とくに、可能性が広がるってところ。
返信削除鈴木雅也 東浩紀氏の文章の中で、そこはボクも共感できたんですよねー。
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